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ヨガインストラクター、パーソナルトレーナーのshokoです。
心と体って繋がってるから、
体がほぐれていくと心もほどけていく・・・
そんな心地よいヨガの時間を
楽しみましょう(・∀・)♪

・全米ヨガアライアンス200時間終了
・AEAJアロマテラピーアドバイザー
・ジュディ・クラップ氏ヨガセラピー18時間集中講座 修了
・ヨギーインスティテュート ヨガニードラトレーニングコース 修了
・ヨギーインスティテュート アサーサナインテンシヴコース 修了
・松居佳代子メソッド・パーソナルトレーナー養成講座 修了
・看護師

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楽しいヨガ教室♪スタジオMumuksu(ムムクシュ)
”私が看護師になった理由”と 9月14日(木)「内なる願い、可能性に気づくマインドフルネス瞑想」セミナー開催のお知らせ
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(写真は、9月6日の水曜日の夕方、午後の骨盤体操後「先生ちょっと苦しそう」って言いながらゆきえさんが撮ってくれました☆
ゆきえさん、レッスン報告書準備してくれてたり、ライト気にかけてくれたり、いつもの細やかな気遣い含め、ありがとうございます♥)


”私が看護師になった理由”

「マインドフルネス」をテーマにしたセミナーをやろう、と決めて準備をするなかで
自分のプロフィール紹介の辺りをどうしようかと考えていて
私が看護師になった理由について、改めて振り返る機会がありました。
忘れたわけではなかったのですが、
きっかけとなった日の出来事を鮮明に思い出したのは
もしかしたら、今回が初めてだったのかもしれません。

看護師になって今年で20年目、それなりに経験はしてきている方だと思います。
そんな長く濃い看護師経験ですが、看護学校に入ることを選択したとき、
私の中には「看護師になりたい」なんていう気持ちは
特に(もしかしたら全く)なかったかもしれません。

私が中学三年生の時の夏休みのある日の夕方
酔いの醒めていない母が、ややふらつきながらも玄関を出て行き、
あれ、どこいくんだろう?と思いながらも一人家にいると、30分ほどして母が戻ってきて
「車が畑に落ちたから、出すのをあんた手伝いなさい」と私に命じました。
え?どういうこと?と尋ねる間もなく言われるがまま母の後をついていくと
自宅から10分ほど歩いた当たりの左カーブになってる道路で
右側にある1段下にある畑に頭から突っ込む形で母の車前半分が落っこちていました。

母は私に、車の運転席に乗るように言い、
言われるがままにとりあえずシートに座ると
「一番左のペダル、クラッチ踏んでギアをバックに入れてからアクセル踏みなさい!
お母さんは車を押すから!」
と運転操作を私に説明して、車の前側へまわろうとします。
マニュアル車の、しかも割と古い軽自動車で
左側のペダル、クラッチというのがまず硬くて踏めないし、ギアを何とか言われるけれども
空ぶかしのエンジン音が鳴り響き、”ムリー!”って半べそかいてると
母が窓からサイドブレーキに手を伸ばして動かしたものだから(ほんとに危ない)車は更に畑の土に沈み、
どうにもならないし母は怒鳴るし、自分の手と足は震えて動かないし。
そんな感じで往生していると、すっかり暗くなってしまった向こうの道路から車のライトで照らされ
一気に明るくなりました。
パトカーからは二人、警察の人が降りてきて、
パトカーの後ろから「ほら、あの人です!」と言っている女性がいました。
どんな会話だったかうろ覚えですが、
警察官と、パトカーの後ろから歩いてきた数名の人たちの話によると
母が団地の駐車場から車を出すときに、途中3~4台の車にぶつかりながら、そのまま走り去ったらしく
団地周辺ではひと騒ぎになっていたようでした。

その時の私はというと、
これ以上車の操作を続けなくて済むという安堵感と同時に
中学生なのに車を運転しているのを警察官なんかに見つかってしまった、
多分そんな心配をしていましたが、そこは特に何も指摘されませんでした。

ひとまず車から降りて、母と一緒にパトカーの後部座席に乗り、警察署へ行くことになります。
パトカーの乗り心地の悪さと言ったらありません。(警察の方、ごめんなさい)
キッチンドリンカーで、口を開くと怒鳴ってばかりの母は、
こんな時ばかりは弱い者らしく「しょうこ、怖いわ、お母さん怖い」といいながら
私の肩を抱えるようにして同じ言葉を繰り返していました。
夜になると、よくわからない理由をつけて怒りだして、
「あんたがいるから、お母さんがどれだけ苦労してると思ってるの」
そう言って物を投げつけて、平手をとばし、私の足元を蹴ってくるくせに。
子供ながらに、大人はズルい、そんな風に感じていました。

警察署に到着し、母は呼気検査を促されるのですが、訳の分からないことを喚きながら
拒否し続けています。
大柄な男性警察官数名に囲まれながらずっと泣きわめいているといった具合です。

しばらくして、母の兄にあたる伯父さんがその場にやってきて
伯父と警察官が話した後で、伯父の車で自宅へ戻ることになりました。
母と住んでいた団地まで送ってもらっている車中、
お前がいて何で止めなかった、と私は伯父から散々怒られました。

一晩たち、翌朝になって伯父たちが二人、おじいちゃんも来ていて
母と私は伯父の車に乗せられ、車を1時間半くらい走らせた指宿の山奥にある、
アルコール依存症専門の病院に到着し、
母は、職員の男性看護師二人に両脇を抱えられるようにして、
鉄格子の先にある閉鎖病棟へ連れていかれました。こちらを振り返って、私に助けてと言いながら。
伯父たちが母の入院手続きを終えた後、また地元へ戻ってきますが
そのまま引っ越しが始まります。
祖父と、伯父と、叔母たちも出てきて、
母と住んでいた団地の部屋の家具やら他の荷物も全て一気に運び出され
祖父母の家は、庭が広く、小さかったけど離れの建物があって、入れられる家具はそこにいくつか押し込めるように入れられて
押し入れに合った古本とかレコードとか、ガラクタと判断されたものが庭で燃やされていました。

私は何もできなくて、
庭の端にある石に腰かけて、焚火のように燃えている荷物を見ていたような気がします。

中学三年の夏休みのその日から、祖父母の家で暮らし始めることになり
唯一気を使って声をかけてくれたのが祖母でしたが
伯父も、祖父も、大変だったんでしょうね、きっと。
私はいつも怒られるか、ののしられるかだったので、暮らし始めは本当に生きた心地はしなかったなぁなんて思います。
母が入った病院は、初回入院の患者は必ず8カ月間入院することが決まっていて、当分出ては来ません。
「2学期出てくる時には進路を決めておくように」
そう担任から言われていたのを思い出し、
普通科のある公立高校に行こうかと考えていたのを
急遽、奨学金制度のある看護学校に変更して、願書を出したのが、看護師の道を選んだきっかけでした。
入学と同時に、卒業後勤務する病院と契約すれば定期的に必要になる学費のほぼ全額を奨学金として
病院が負担してくれるという、今はもうなくなりましたが、とても恵まれた制度を利用して
私はしっかり高校に入学し卒業することができたんです。
20歳で無事国家試験も合格して晴れて看護師となり、働くようになって20年過ぎて、
あの頃があったから今があるんだなぁと、改めてそう思いました。

・・・長くなりましたが。

看護師になった理由、この時のエピソードを先日
ある程度まとまった人数の人たちの前でお話する機会があり(思えば人に話したのが初めてでした)
私が思っていたよりも、とてもびっくりされましたが
その日の夜、ヨガの仕事を終えて帰宅し一人になってから
当時の事をまた改めて回想していました。
思い出していると、その時の様子がだんだん鮮明に出てきます。

何度も何度も浮かんでは、そこで留まる、
一番私の目に焼き付いていた記憶は
病院の閉鎖病棟の入り口前で、看護師に両脇を抱えられながら私の方を振り返る母の姿で
もう一つは、
祖父母の庭で燃えている焚火みたいなガラクタたちの炎でした。
母の後姿は
何日も着っぱなしの、しわくちゃの花柄ワンピースで、
数週間お風呂も入っていないボサボサの髪の毛と、べたついた感じの顔が振り返る様子が
何度も出てきて、

”あー、そうか 
私はこの人から 
愛されたかったんだなぁ」”と気がついて
いつの間にか泣いていました。

平手が飛んで、蹴られても、物が飛んできてアザができても
夜になれば窓から裸足で逃げて、明け方まで団地の階段の隅っこで時間をつぶす羽目になっても

私はこの人から、愛されたかったんだなぁ と気付いて

泣いているのが今の自分か昔の自分なのかわからないちょっと変な感覚の中で
”寂しかったんだよね”
”怖かったんだよね”と
子供の私に声をかけて
初めて自分を許すことができたような気がしました。

いつも平気なふりをしようとしたし、
愛を乞うような気持も押し殺すように隠して、
でも本当は
平気なんかじゃなかった自分をどこか恥ずかしく感じていて、
たった一人の親である母に対して嫌悪の感情しか湧いてこない自分自身にもずっと
罪悪感のようなものを抱えていたと思います。
何をすれば愛情がもらえるのかわからず
いつも心は不安定だった自分を
他の子と同じように自分だって大事にされたいのにと不満でいっぱいだった自分自身を
ながーい年月が経って、やっと許すことができたような気がします。

当時の感情、”苦しい”に近い感覚がいっぱい出てきてしばらく泣くのですが
同時に穏やかに傍観するような自分もいて、すごく不思議な感じでした。

”離れたところから眺めるように、自分を見る” という在り方が
これまで幾度となく、どれだけ自分を救ってくれたことだろうかと
今改めて思うんです。

閉じ込めていた記憶の蓋が開くときは
多分とても変な感じがします。
無理にこじ開ける必要はありませんが、
それが出てきてしまった時というのは、ちゃんと意味があって
それを見つめる準備ができたということでもあるし
今現在の自分自身への、大事なメッセージのようなものなのだと
今はそう確信しています。

見ないようにしてきたことが、今現在の何かを滞らせていて
そこに自分自身が深く触れることができて、やっと癒せるのだということも
こういった機会を通して実感します。

この”眺めるように” ”深く見つめる”という力は
「今」「現在」という時間軸の中で養われるもので
今を いかに意識を満たして過ごせるか
今この瞬間の眼の前のもの全て、いかに曇りのない状態で見ることができるかが
本当の意味での幸せや、自分らしい未来へと導く鍵になります。

誰しも人それぞれに、傷ついた子供の自分を抱えているもので
そんな苦しい出来事も含めて、人生では無駄な出来事は一つもなく
それによって受け取る恵みが訪れるのが、いつになるのかわからないのが
悩ましいですが。
私の人生の中にある恵みにしっかり気づけるように
毎日の一つ一つの「今この瞬間」を大事に味わう
マインドフルネスという在り方を大事にしていきたいなと思います。

前回ここに
私の「クリスマスケーキのトラウマ」のお話を書いた後で

”せんせー ケーキの話、読みました”
と、何人かの方から直接お声をかけていただきました。
ちょっと湿っぽいお話だったので、そんな風に直接反応を頂けたのが
私自身予想外だったのですが、

もし何か、読んでくださった方が
それぞれの人生に照らし合わせて
何かを感じて下さったのなら、
ほんとに、ありがたいことだなぁと思いました。

もし、何か感じたことやご意見等ありましたら気兼ねなく、
お声をかけていただければと思います。
ホームページのお問い合わせフォームから入力していただけますと
お時間いただくかもしれませんが、必ず返信させていただきます(^-^)



9月14日 木曜日
「内なる願い、可能性に気づくマインドフルネス瞑想」開催します☆
あなたの願いは何ですか?
今一番、大事にしているあなたの想いは何ですか?

瞑想は潜在意識にアクセスするようなところがあり、
それらに気が付くことで願いを叶えやすくなると言われています。
単純にリラックスして、脳や体を癒す効果も期待できるので、
頭をすっきりさせたいな、なんて方にもお勧めです(^^)
人形町ランコントレ・トントさんで13:30~開催、ランチが付いて参加費3,000円です☆

お申し込みは
http://mumuksu-shoko.jimdo.com

お申込み・お問い合わせフォームよりお願いいたします


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